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映画の感想とか倉庫

HiGH& LOW THE WORST Xは誰もが自由になれる物語だ

 
 
※この感想はザムドラマS1からハイローを見てきて、その前からずっとクローズ・WORSTが好きだった人間が書いています。
 
謳い文句にもあった、上でも下でもないてっぺんとはなんなのか。突き詰めるなら、HiGH& LOW THE WORST X(以下ザワクロは花岡楓士雄はどのような人間なのか、という話だったと思う。
今回、ザワクロはハイコンテクストな作品である、という感想を公開前に見たけれど言いえて妙だった。
ハイローが培ってきた文脈や価値観を下敷きにしてクローズシリーズが描いてきた不良少年の在り方を掛け合わせた上で、アクションとカメラワークと音楽でそれらを一体にしていた。あと要所要所に実写クローズシリーズのオマージュも入れて。
初見の時の個人的な感想としては、美味しい闇鍋です。それだけでも見て面白いし、ごちゃまぜに入っている具材一つ一つを味わって噛みしめることも出来る様な、そんな映画でした。
 
以下はザワクロとハイロー他シリーズとクローズ・WORSTと実写クローズシリーズのネタバレを含みます。
 

 

 

・花岡楓士雄の特異性と“最高”について

 
楓士雄が暫定で鬼邪高の頭なのは、村山がかつてそうだったように、皆に向かって「行くぞ!」と号令をかけ先陣を切れる人間だからだと思う。そもそも鬼邪高自体、村山が来る前は頭はいなかったし、その頃の全日は今よりももっと存在感がなかった。だから頭としてのモデルは村山しかいない。
しかし楓士雄が村山と違うのは、拳の強さで優劣を決めた訳ではないところだ。ザワでは司やジャム男のように元々友好な関係を築いていた訳ではない轟一派やヤスキヨも、楓士雄に力を貸そうとした。
結果として今の鬼邪高は派閥が統合された訳ではなく、ただ名だたる面々が楓士雄を中心としてつるむ不思議な状態になっていた。公式ページのキャラ紹介のページも、各一派は吸収されずに残ったままである。
鈴蘭が出てきたことでもわかるが、単純に喧嘩の強弱で下につくかどうかを特にクローズシリーズの不良少年たちの間で決めることは出来ない。もちろん、それが理由になることもあるが、結局本人が納得するかどうかでしか決められない。
不良漫画で出てくる「担ぐ」のニュアンスは、言うなれば推すが近い。歌が上手くても顔が良くてもダンスにキレがあっても、それは誰かを推す要素になるが万人への決定打にならないように、誰を頭として担ぐか、というのは結局個々人でしか決められない。
だからこそラオウは鈴蘭最強の男ではあるが、群雄割拠する鈴蘭そのもののてっぺんにはなれていない。
鳳仙が佐智雄一強体制なのは、一人頭を決めて皆が従い団結するという伝統の学校だからなので、また話が違ってくる。
序盤から司は楓士雄を頭足りえる男にしようとしていたけれど、楓士雄自身は自分にそんな資格があるのかと迷いもしていた。それもそのはずで、基本的に楓士雄は上下関係というものが稀薄で、誰かを下につけようと戦ったこともその逆もない。だから上に立つ者の自覚を持てと言われても、そもそも立つ気がないからわかりようがない。
クローズシリーズの主人公たちは、皆何らかの形で瞬間的にとはいえ“最高”足りえていた。
坊屋春道は、本人が何も言わずともその行動やカリスマに皆が憧れ、背中を追いかける男だった。
月島花は、強さと人格を兼ね備え三年間かけて鈴蘭の皆が彼ならば上に立ってほしいと認める番長となった。
滝谷源治は、己の弱さと意思をさらけ出し一人で戦いに赴く覚悟を見せて、対抗勢力もが彼を大将と呼んで担いだ。
鏑木旋風雄は、それまでの己の主義を捨て騒動を引き受け立ち向かうことで、異なった勢力の者達が彼の後ろについた。
花岡楓士雄はどうなのかというと、彼はザワクロにおいてこれら歴代主人公たちに並ぶ“最高”を自覚し、確立したんだと思う。
楓士雄は、窮地において鳳仙に友人として力を借りる為に頭を下げた。恐らく作中最強の存在のラオウに、その強さよりも人間性に感銘を受けて「友達になってくれ」と臆面もなく言えた。
楓士雄の不良少年として、そしてクローズシリーズの主人公としての特異性は恐らくここにある。
楓士雄は良い意味でメンツというものを気にしない。彼にとって喧嘩はあくまで喧嘩でしかなく、そこには単なる勝ち負けしかない。プライドを傷つけ合うことも相手を従わせることも彼は興味がない。だから楓士雄は自分の下につく人間を持たないが、横のつながりを広げていくことが出来る。その結果、鳳仙と鈴蘭が彼の為に戦うという奇跡を起こした。
不良ものとは、個人的には青春とアウトローの境にあるものだと思うけれど、楓士雄の精神性は青春にかなり振り切っている。
終戦で決着がついた時に、須嵜と天下井にかけた言葉こそが彼の本質なんだと思う。てっぺんを目指すという意味では大なり小なり差はあれど自分達は何も変わらないと言ってのけて、またやろうと笑ってあれだけの抗争を綺麗に終わらせた。
あれで手打ちは済んだのであとは帰るだけなのも、本当に子供の喧嘩って感じがした。戦後処理も利益の分配も後腐れも何もなく、まるで遠足や運動会の後のように疲れと爽やかな気持ちで終わって皆帰っていった。
クローズシリーズで度々、高校生活とはいわばモラトリアムである(だからこそ自由に楽しみ、遊び、他人と出会い、そして己を磨こう)と語られてきた。
そして花岡楓士雄はそのモラトリアムを自分だけでなく、周りに作り出せる人間なのだろう、と思う。楓士雄の周りでは、誰もがただの高校生に戻れる。そこには上も下もなく、ただ隣にいる似たもの同士になれる。
誰しもを本来求めていなかったはずのしがらみから解き放ち、自由にする。それが楓士雄だけがなしえることで、だからこそ彼は全員主役のこのハイローシリーズの中で、高橋ヒロシ先生に主人公たれと生み出されたキャラなんだと思った。
 
 

鈴蘭男子高校の話

鈴蘭高校、というかラオウ一派最高でしたね……。
鈴蘭の参戦が確定してから、鈴蘭というのはとにかく格好良くて孤高で他を圧倒するだけの格があって、でも10代の可愛げも兼ね備えていないといけなくて…と延々とろくろを回す厄介ファンだったんですけれど、全部クリアしてきてくれて嬉しかった。スクリーンにひるがえる鈴蘭の校章見て泣きそうになった。
鈴蘭の不良校としての格が違うのは、楓士雄が帰った後の大揉めしてる中庭のシーンで描かれていて、あそこでいきなり喧嘩をしかけてきたビンゾーや孫六も、一人で来た楓士雄の心意気を買ってくれてるのがいい。あと鈴蘭生達もそれで一旦引いたり黙るあたり、楓士雄の行動を蛮勇とは認める程度に、モブ生徒でも不良文脈のリテラシーがある。
その後の西尾のいちゃもんも、不審者一人捕まえられないくらいでは鈴蘭の格が落ちる、と結構高度なんですよ。ラオウ一派が持ち上げた楓士雄の格に対して、鈴蘭の格を引き合いに出してきてる。
それに対する返しが、彼はラオウ一派の客人だ(=不審者ではなく、黙って帰すことの正当性を自分たちが保証する)で、マーシーのNo.2としての度量と格を見せつけてこの格バトルを終わらせるの作劇が上手い。
今作で一番高橋ヒロシみが強いキャラ、マーシーだと思うんですよね。ああいうNo.2の描き方は高橋ヒロシ先生がよくやってて、トップを立て陰で支える一方で何がトップに必要かを見極めて、時には諫めるみたいな。ラオウ諫めるとこなさそうだけど。いい子なので。
そしてマーシーが対外的にも楓士雄をラオウ一派の客人と認めたのが後々大きく効いてきて、これによって司がマーシーに会いに行った時に、楓士雄はラオウに会わせてもいいと認められたのかなと。先日一人で来ただけでもある程度は評価しているけれど、司のように単身頭を下げにくる人間が担いでいる男だということで、鈴蘭最強のラオウというだけでなく自分の友人でもある岬麻理央について教えてもいいと思うくらいに。
ラオウ、ザワで名前だけ出てた時もどんなキャラが出るのかと思ってたけれど、実際出てきてなるほどー!ってなったしすぐ好きになりました。いやもうバリケードを蹴りで壊す登場とか最高だし、強さがSWORDの枠なんですよね。
設定上高校生ではあるが他の高校生とは歴然とした強さの差があり風格もある存在、をどう実写で表現するかに対しての解がクロゼロ2の美藤真喜雄の時も思ったけど、“本当に強そうで実際強い人を連れてくる”なのは思い切りがすごくて好き。高校生の説得力を捨てて、強さの説得力に全振りしてる。
でもラオウも、ただ最強というだけではなくて、子供の時に強さを自覚した後に、己の力を幼い弟妹を守る為に使おうと決めたのはもうヒーローのオリジンなんですよ。超人血清を飲む資格があるタイプ。ただそんなラオウでも鈴蘭の中の一勢力にしか過ぎないというのも、鈴蘭の不良校としてのランクの違いがちゃんと出ててよかった。
対比をよくハイローでは見せてくるけれど、ラオウと天下井も生まれつき持っていたものゆえの孤独という意味で対比なのかなと思う。幾ら力が強くても金があっても、それは周りから遠巻きにされる事情にもなり得て、誰かに友達になろうと思ってもらえなければいつまでも孤独なことは変わらない。
そんなラオウにとって、初めて喧嘩するよりも先に友達になってくれと手を伸ばしてきた楓士雄は、どれだけ稀有な存在なのかと思う。
ラオウ一派が助けに来るのは、あくまで一派にとって客人でありトップの友人の楓士雄の窮地を助けに来た個人的な事情であって、鈴蘭として来たわけではない、というあたりが鳳仙との共闘やそもそも鈴蘭がどこかに与するという行動への落としどころとして上手いと思う。
ここら辺のバランスというか辻褄の合わせ方が、ハイローの勢い重視の展開でもあるけどぎりぎりクローズシリーズとして筋が通るラインを見極めていて離れ業だなと思う。
鈴蘭と鳳仙は基本的に因縁が深くて、お互いのことをライバル視している歴史がある。門司と瀬田・カムイの会話とかもそうだけれど、どうしても張り合ってしまうというか双方相手にだけは負けたくないと思っているというか。
だから佐智雄とラオウの喧嘩は、ただの力比べではなくなって鳳仙の頭vs鈴蘭最強になってしまい、勝っても負けても本人達の意思とは無関係に、そこに何らかの意味や禍根が出来てしまう。だから佐智雄はラオウともう喧嘩しようとしなかったし、楓士雄を止めたんだと思う。
けれど楓士雄の前では肩書きも立場もなくなって、ラオウや佐智雄もかつてはそうだった、ただの喧嘩が好きな少年に戻れる。最後のタイマンの約束は、友達同士で遊ぶ約束をするような雰囲気であれもすごく良かった。
 
エピソード0鈴蘭というかラオウ一派が見たいです。ドラマ前編後編とかでもいいし、なんなら鈴蘭高校の1日密着ドキュメンタリーでもいいので……。あそこ出席は取ってて体育の授業もあるから、みんなで体操着着てバスケやってほしい。
 
 

・轟周辺と過去の清算の話

ザワクロ自体かなりハイコンテクストな作品であるけれど、轟周りは本当にハイコンテクストだなと思った。これまでのハイローで出されてきた情報を前提にした上で、不良漫画文脈にかなり寄っているバラ商を相手にストーリーが組まれてる気がする。
轟一派が「一緒にいるだけが仲間じゃねえ」なのは、もう彼らだけがザムのドラマ版から登場しているキャラだからかなとも思った。他は基本一派で行動して襲われてるし。
ただ6ザワで辻と芝マンは轟が釣りに行っているのは知っている(そしてそれを他人が揶揄すると怒る)から、今回も恐らく釣りに行ってることは知ってたんじゃないのかなと思う。それでも、二人とも一切それを伝えずに、目の前の大群にぼろぼろに負ける覚悟を決めた。あとその後の風神雷神の顔に怪我があるのを見ると、一発以上はあの状況でも入れて意地は見せたんだなと。(ここの撮影自体はしてたと聞いて以来見たくて震えてる)
釣りから戻ってきた轟も単身風神雷神のところに向かうけど、その前の振り向いたら全員やられてるシーンいいですね。あれは不良少年というよりは、スリラー映画の敵の出方ですよ。
風神雷神に、「殺す」って轟が言ったのにも最初驚いた。子供みたいだなと思ったけれど、身近な人間がやられて怒ることに慣れていなさそうだし、もしかしたら初めてだったのかもしれない。
一緒にいるだけが仲間じゃないのは確かだけれど、誰かを庇ったり誰かの為に怒ったりするのはそれはもう仲間と言っていいんじゃないかなと思う。
守るべき仲間がいる、と言った時もそうだけど、今回の轟は作中の大半に不慣れなことをやっているぎこちなさがあったと思う。司に小田島との関係を聞かれた時も小田島の方をちらちら見るし、楓士雄に対して忠告する時もつい語気が荒くなるし、須嵜と戦う時も変に小田島を庇って動きが鈍いし、轟が得意な喧嘩のように何もスマートに出来ていない。
それを轟自身も気付いていて、そこかしこに戸惑いと気恥ずかしさがあったように思えた。それでも、不慣れなことでも轟はやることを選んだし、やりたかったんだと思う。そうはなれなくても、憧れて真似することは出来るから。
楓士雄に自分はもういらないのか、と聞けるのも他者との信頼関係を築けているって軽く感動した。村山に突き放された時は何も言えなかったけれど、今の轟は戸惑いながらも疑問をちゃんとぶつけられるんだなと成長を垣間見た気持ちになった。
結局一人で敵に対してキレ散らかしてる時が一番本調子なのは、そっちの方が断然得意分野なんだろうと思う。鎖巻いたバットで殴られた後、キレたとはいえ十何人倒すのはやっぱり強さがおかしい。
バラ商組も、不良のエリート高というのも納得するくらいに、三校連合の中では浮いてるんですよね。基本テンションが低いし喫茶店でノリも悪くて、本当に轟の為にだけ加入してるんだなというのがうかがえる。
バラ商も風神雷神が前面に出るけど、三人だけだと対等な関係というか、幼馴染がそのまま大きくなった感じなのほほえましかった。
そしてザムドラマの時の轟の性格は不良狩りからもうかがえるようにかなり最悪で、昔の風神雷神も負けた写真を撮られたんだろうなと思う。そして一本気な二人にとって、そんな相手への敗北は単に負けたこと以上に屈辱であって、だからこそ鮫岡も三校連合の話に乗ってくれたのかと。
けれどその結果、圧倒的な暴力で敵の仲間を一方的に蹂躙するという、かつての轟と同じことをしてしまったのでもうここで風神と雷神の喧嘩に正当性は無くなっているんですよ。不良としてはあまりにもダサい行為だからこそ、鮫岡は抜けようと言ってたし、二人よりも先に轟の提案に乗ったんじゃないかなと。
風神雷神戦は、今の轟が昔の轟と対峙する話でもあると思う。倒れていた辻と芝マンは、かつて轟が負かしてプライドを傷つけてきた不良たちと重なるし、なんなら写真撮ってない分風神雷神の方がましかもしれない。鬼邪高に来るまでに撒いてきた種の収穫を、あの時の轟は迫られていたんだと思う。
けれどこれまでのハイローで色んな人間と出会い、ゆっくりとだが轟は変わってきた。須嵜に「なんであんな奴の為に」と轟は言っていたけれど、かつて辻と芝マンも同じことを鬼邪校生から言われていた。でももう今の轟は、辻と芝マンにとってだけでなくとも「あんな奴」ではきっとなくなっている。
今まで鬼邪高で培ってきた時間と人間関係が、風神雷神の前に轟を立たせて、そして勝たせたんだと思った。
エンドロールでも、皆と一緒にバカ騒ぎはしなくとも、その場の一員として轟は笑っていて、ドラマで初めて出てきた時に周りを敵と格下に二分して暴れる、まるで災害のようだった轟洋介は、釣りが好きで本をよく読む喧嘩が恐ろしく強いだけの、ちょっと変わってる普通の男子高校生になったんだなと思った。
 

・天下井と須嵜とこれからについて

瀬ノ門、関係性を煮詰めて煮詰めてタール状にした上で、どこか爽やかな終わりになるのちょっとびっくりした。あとよく言われてるけど、回想の入れ方というか情報開示の仕方が上手くなってるのもびっくりした。
須嵜は喧嘩をしていない時でも表情というか、視線の見せ方や撮り方でキャラクターを語らせていて良かった。
監禁されている時の司をじっと見つめているのは、きっと羨ましかったんだと思う。誰かを担ぐと決めているのは同じでも、司は楓士雄のことを理解し楓士雄もそれに応えようとしているから。天下井と須嵜は近くにこそいるが、互いを理解している訳じゃなかったし。一緒にいるだけが仲間じゃないならぬ、一緒にいても仲間じゃない……。
天下井と須嵜は二人の間だけでなく、そもそもずっと他者と断絶してるんですよね。須嵜は天下井に従っているけれど、駒扱いされたかった訳ではないし、かと言ってそれに対する不満を訴えたりもしない。気になって話しかけてきた鮫岡も拒絶する。
天下井は負ければ何も残らないと思っているからこそ、裏切るかもしれない仲間より金による契約関係に執着している。けれど司に激昂したように、その金の力も心底は信じられていない。自分は駒と違うと思っているからこそ、誰も仲間とは思えないし信頼できていない。
終盤で自分達を囲む鬼邪高や鳳仙を見る視線が動揺で泳いでいるあたり、小物っぽさもあったけれどかわいそうでもあった。
鬼邪高も鳳仙も鈴蘭も、この状況でも天下井を庇う須嵜と対峙している楓士雄に敬意を払って手を出さないでいるし、そもそも大勢で一人を袋叩きにするのは不良の美学に反するダサいことだからやらないが、天下井にそれはわからない。彼は一人だけこの映画の中で不良の世界から外れているのに、不良の世界の言葉であるてっぺんを目指している矛盾に気付けていない。
担ぐとは推すに似ていると書いたけど、推す理由が人それぞれなように、須嵜にとっては子供の時の天下井の行為と言葉だけで担ぐに足りてたんですよね。でもそれを天下井は忘れているから、須嵜がもう一度ちゃんと言葉で伝えるしかなかった辺りから二人とも子供に見えてきた。
あそこで天下井には人生の半分以上抱えてきた価値観を覆すような、パラダイムシフトが起こっていたんじゃないかなと思う。
その後須嵜の側にしゃがみ込んだ時、おそらく作中常に時には物理的に高いところに立ったりして人を見下ろしていた天下井は、初めて他者を見上げてるんですよね。
あの場で楓士雄に言ったのはつまり、天下井は須嵜に担がれていることを自覚して、彼の頭として負けを受け入れるということで、天下井はあそこで初めて、てっぺんを目指すという意味で他の不良少年たちと同じ土俵に立ったんだと思う。
無論須嵜と二人でのそれはほとんど不可能と言っていい道で、確実性だけなら今までの金に頼って駒を集めた方がいいけれど、それで見れるものは子供の時の天下井と須嵜が一緒に見ようと言った景色じゃないから。天井を見上げている二人は子供みたいだったけれど、まさに子供時代の続きをやっと始められる二人に似合っていた。
ザワの新太の時も思ったけれど、救われるというか改心したキャラへの温情はハイロー由来だなと思う。罪は裁かれるよりも改めることと禊がれることで決着がついて、ゆっくりと未来へ向かっていくことを良しとする世界。これがクローズだったら天下井は三回くらい車に轢かれるかナイフで刺されるかしてますよ。
エンドロールで、他者を拒絶していた須嵜は、初めて天下井以外の他人である楓士雄に自ら関わろうとしていて、常に多数を引き連れていた天下井は須嵜の後ろに一人で立っている。
物語の始まりに比べて明確な変化が彼らに起こっていて、主役サイドである鬼邪高だけでなく、敵役だった瀬ノ門もきっと未来は明るいだろう。そう予感させてくれた、いい終わりでした。
 
 

・最後に

ザワが入学式兼卒業式なら、ザワクロは文化祭のような映画だと思う。HiGH& LOWとクローズ・WORSTが同じ世界に存在している、という無茶を通すだけでなく、今までの実写クローズのオマージュもあり、クローズ・WORSTに通じる不良少年的な価値観やキャラクターが共存していて、一本の映画として成り立たせている不思議なバランスの映画だ。
けれどもザワの時にもあった、クローズ・WORSTではあり得なかった救済や展開をまた見せてくれて嬉しかったです。
 
(難を言うなら尺がとにかく足りないと言うか、辻と芝マンのアクションが見たいとか轟vs風神雷神が見たいとかバラ商のアクションシーンとか色々色々あるので、3時間くらいのディレクターズカット版待ってます。よみランでも横アリでも幕張でも行くからとにかく見せてほしい……)
 
ザワでいきなり鬼邪高に現れて周囲を変えていった花岡楓士雄は、今作で鬼邪高に完全に馴染んだとともに、クローズシリーズの主役の系譜に並んだんだと思う。敵も味方も関係なく、例え拳を交えなくとも自由にしていく彼は、まぎれもなく“最高”の男の一人だった。
 
しかしカロリーの高い映画だった。