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映画の感想とか倉庫

HiGH&LOW THE WORSTは祝福に満ちてる(映画の感想です)


HiGH&LOW THE WORSTは、クローズ・WORSTシリーズへの愛とリスペクトによって形作られた最高のハッピーエンドであり祝福であるっていう話をします。
(アクションがまた限界を超えてきたとかハイロー最新作として見ても勿論素晴らしいとか鬼邪高の特に定時三人本当にありがとうございましたとかはちょっと割愛します。一万字でおさまるかわからないし)
パンフとかインタビューとか読んでないんで、読んで思うところあったらまた何か書きます。


よかった。とにかくよかった。
物語に感動するというよりも、すごく難しい立ち位置が要求されるものに対して、すごくいいものを作ってくれたことに対してエンドロールで涙が出てきた。
ハイローシリーズの続編であり鬼邪高のスピンオフでありクローズシリーズとのスピンオフでありというだけでも盛り沢山なのに、新キャラが続々出て映画からのキャラも出て、それで2時間少しに収まるっていう奇跡のバランスで成り立っていた映画だった。

正直な話、怖かったんですよ。全日の既存キャラ(特に轟)が脇役になってしまうのも怖かった。今回で卒業がほぼ確定している村山が、恐らく話のメインである現役高校生達より影が薄くなってしまうのも怖かった。他にも幼馴染組や鳳仙など映画からのキャラクターが出るらしいけど覚えられるのかなど色々あったけれど、一番怖かったのは、鳳仙高校が、ひいてはその後ろにあるクローズ・WORSTがハイローの噛ませ役になってしまうかもしれないことだった。
私はハイローをS1から見てきたし、ここ数年くらいはハイローをやっている時期と次のハイローを待っている時期の二つしかないという感じだった。
けれどもそのずっと10年以上前から、クローズとWORSTを好きだった。
そもそもハイローを知ったのは三代目のライブ会場で、三代目を知ったのはクローズEXPLODEで、それを見に行ったのはクローズZEROを見てたからで、じゃあなんでそれを見に行ったかっていうと、クローズとWORSTがとにかく好きだったからだ。
DTCスピンオフの試写会のラストでザワの特報を見て、落ち着いて考えた時に頭をよぎったのは、これでハイローを嫌いになってしまったらどうしよう、だった。
とりあえず、という気持ちで見たドラマは面白かった(ジャム男がヤスシに喧嘩を売りにいくところとかガチ泣きした)し、高橋ヒロシ先生が脚本関わってるというから期待半分恐れ半分くらいで見に行った。
結果としてハイローは最高だったし、あの鳳仙のハゲ達はやっぱり強かった。

 

以下はザワ本編とクローズとWORSTのネタバレを大量に含みます。

 

 


・フジオとか轟とか最高とか最強の話
クローズシリーズの中では、最高>最強という方式が一つのテーマになっていて、ただ強いだけではなくて最高の男でないと人は集まらないし、主人公というのは最高の男である、という風に描かれてる。
クローズにもWORSTにも、リンダマンや花木九里虎という主人公とも同格かもしくは格上の強さのキャラは出てくる。だが彼らは敵ではなくとも主人公の仲間では決してなく、ほかの友人達のように共に戦うことはなく半ば望む形として孤高だった。
そして司も言っていたけれど、轟は全日の中では恐らくフジオより強くて最強なんですよね。鳳仙との争いの中でも一人だけ幹部相手に勝ち星をあげ(フジオも志田に勝ってはいるが、その前にヤスシとやり合っているから志田も万全の状態だったとは言えないし辛勝という感じだったし)、三人きりのチームで他チームと渡り合っている時点で十分に強いし。
それでも轟の下に人は集まらない。最強ではあるけれど「最高」ではない。いや辻と芝マンにとっては「最高」なんだろうけど、それはあの二人が轟を理解しようとしているからだと思う。轟も決して同じ学校の人間がどうでもいい訳ではなくて、八木高の件とか自分に関係なくても学校の人間がやられて自分が頼られたなら、その責任を果たそうとはするんですよ。
でも轟は一人で黙って行く。辻と芝マンが来てくれたらつい笑みが漏れるくらい嬉しいけれど、それを言葉には出さないし、ましてや来てくれだなんて言えない。他人を理解しようともされようとも思ってない。
担ぐ方は相手の為に何かをしたいと思うから担ぐし、担がれる方は担いでくれる相手を見ていて何かしら行動する、ってのはザワドラマの時からやってた。司がわざわざフジオの所に行ったのは、ジャム男や自分を慕ってくれる人間が血を流してくれたからで、彼はてっぺんを取る気はなくてもその気持ちに応えなければならなかった。
轟が、「てっぺん取る人間が頭下げて頼みに来るのか」って言うシーン、全日のトップに一番近い二人の考え方の違いが如実に現れてる気がした。
からしてみたら、全日の他のチームの人間というのは敵か興味がない存在で、頼ったり弱みを見せたりする相手ではないんですよね。でもフジオにとっては、同じ学校の人間で喧嘩が強くて戦ってみたい相手であって、敵意はない。
フジオが「最高」のカテゴリの人間足るのはつまりそこで、彼はてっぺんを取りたいけども鬼邪高全員を打ち負かしたい訳でも支配したい訳でもなく、単純に強い相手と喧嘩したいし、その理由をあえて言うなら理解したいとかが近そう。
そして、それが無謀でも子供の駄々のようでも、皆が困っているなら先頭に立つし、どんな事情があろうとも友人が犯罪に手を染めているなら引き戻したいと思うし、動く。
だからこそ、彼の関係性があらゆる方向に広がっていくし、フジオと共にみんな戦いたくなるんだと思う。佐智雄も相手がフジオでなかったら共闘を良しとしなかったと思うし。
轟が最後に倒れたフジオにかつて村山がしたようにデコピンするふりをしてから、その手をほどいて差し伸べるシーンで轟は轟なりに鬼邪高の全日生の一人になったのだと思った。
相手が、差し出した手を掴んでくれるかなんてわからない。それでも轟は誰かが差し出してくる手を掴むのではなくて、自ら手を差し伸べることを選んだのが涙腺に来た。轟は「最高」にはなれない「最強」であるけれど、それでも他人と関わる変化を選んだのほんと良かった。あれも一つの卒業の形だった。


・鳳仙及びクローズ原作とそのオマージュの話
鬼邪高は鈴蘭高校のオマージュみたい、ってのはわりとS1のドラマ初期から言われてた記憶があるんですよ。落書きだらけの校舎とか、とにかく汚い教室とかは漫画より実写の方のイメージが強いけど。原作も落書きはあるけれど、あそこまでゴミはないし机は汚れてないし。それでガラの悪くて体格よくて老けてる高校生がいて、と思っていたらほぼ全員成人している設定出してきたのは笑ったけど。
そしてそんなオマージュ元のライバル校とやり合うってなって、勝敗どうなるのか本気でわからなかったんですよ。鳳仙のBGMがSECONDな時点でもう強いんだなってことははっきり伝わってきたけれど、個々だけではなく団体としての強さの差をアクションで表してるのが素晴らしかった。
地力の差だけではなく、鳳仙のモブ生徒がとにかく団体戦に長けていて、鬼邪高側は辻と芝マン、ツカサとフジオなど元から仲の良い二人くらいしか連携プレーが出来てなかったの良かった。だって昨日ひとまず休戦したくらいの関係だし、下手したら一昨日あたり誰かしら殴り合いしてそう。
決着はつかずに終わったの、その手があったかって納得したけれど驚きもした。勝つのは無理で負けなかったけれど不完全燃焼じゃん…って。
だから、絶望団地で鳳仙の生徒と共闘ってなった際に声出そうなくらいテンション上がった。
鈴蘭と鳳仙は手を組むことが出来ないと思うんですよ。花と光政のようなトップ同士ならともかく、学校全体としては多分無理。それには鈴蘭が鳳仙と違い基本的にトップを持たない学校であることと、お互いに因縁が深すぎることとかいろいろある。また、それを無視して話の都合として手を組まれても興ざめになるし。いいやつもすごいやつもお互いの高校にいるけれど、あくまでいつか倒す敵であるという立ち位置を大事にしてる。
そんな鳳仙が頼れる味方になって、心から彼らの活躍を応援出来て、電車から降りてきた時は恐ろしかった灰色の制服が頼もしく見えるの、本当にこの映画ならではという感じですごい好きです。ハイローでなければ見られなかった光景であり展開。

クローズ原作からのゲストキャラとしてパルコが出てきたのも、製作陣が好きだからとは思うんだけど深読みするとクローズのPAD編と絡めてのことなのかなと思う。
PAD編はものすごく乱暴に言ってしまうと、道を外れてしまった友人の陣内公平を皆で連れ戻しに行く話だ(そして失敗する話でもある)
クローズでのパルコはとかく破天荒な男だ。人の話は聞かないし喧嘩っ早いし、手を組んだ仲間と一緒にいた際に、お前ら何者だ、と聞かれて「パルコ&デンジャラーズだ」と堂々と答える。アベンジャーズで言うなら社長が「アイアンマンと頼れる仲間たちだ」と答えるようなものだからほんとひどい。
けれどもそのパルコは、大人になってこういう仕事をしたい、こうなりたいという夢を持っていた。だから真っ当に大人になることを諦めて、裏の世界で汚い手を使ってのし上がろうとする友人をなんとしても引き戻そうとした。それでも陣内と一緒に帰ることは出来なかった。
相変わらず破天荒だし人の話は聞かないし無茶は言うけど、パルコのまま大人になった春山孝一を見せてもらって嬉しかった。関組周り、大人になることは決して悪いことではないし、それは金銭だけではなく何かを成し遂げられるということだ、っていうメッセージを力強く投げてきてた感じだった。関ちゃんのお父さんも先輩とか言われてたから元ヤンなんだろうけど、パルコしかりお父さんしかり、変質しなくても大人になることは出来る、と言っているようだった。

 
・アラタと世界観とかの話
これが高橋ヒロシ作品の話なら、恐らくアラタは帰ってこれなかっただろうと思う。彼は罪を重ね友の手を振り払い、切り捨てられても外で戦っている隙に抜け目なく金庫の金を漁ろうとして、ぼろぼろのフジオにも拳を振るった。例え理由や葛藤があったとしても、そういう因果応報の世界観がある。
けれどもハイローはこれまでの物語で、何度も『離れていったあなたがどんなに変わってしまっても待っているし、私たちはともに生きていきたい』ということを語ってきた。これはシーズン1やザムだけでなく、直近のDTCスピンオフでも大きなテーマとなっている。ハイローは、離れてしまった誰かが帰ってくる物語だった。それはハイローのお約束であり、言い換えれば世界観の根幹となる軸だった。それだけの物語を、鬼邪高編から始まったドラマから最新作の今までハイローは語ってきた。
だから、アラタは皆が待つ駄菓子屋に帰ってこれたし、高校生たちだけで話が進む不良漫画と違い、ハイローは子供と大人になりかけている存在が共存する世界だから、毎月少しずつ積み立てられていた預金通帳という救済を得ることが出来た。
あの預金通帳も見えたの一瞬だったけどめちゃくちゃ好きなんですよね。アラタが絶望団地でかき集めていたのは汚い千円札で、あれがなんで千円札かって若者や学生がターゲットだから、一万円とか持ってる方が少ないんだろうなと思う。それに対してオロチ兄弟の通帳は、毎月何万円かまとまった額が積み立てられている。それは彼らが大人の世界で得た対価であり、子供である他の駄菓子屋の仲間には出せない金額でありながら、文字通り汗水垂らして溜めた金を他人に差し出すという大人としては考えられない行為を選ぶ。
あれをマドカが心から称賛するのがいい。マドカって正論しか言わないというか、メタ的に彼女の発言というのは倫理観や価値観の主軸になってると思う。勘違いで大人を叩きのめしたオロチ兄弟は馬鹿だし、流されて動画まで撮られた唯は呆れるし。そんな彼女が称賛するんだから、正しい行為なんですよあれは。

あれ、特にオロチ兄はいつから考えてたんだろうなって思う。オロチ兄弟は一応大人枠だし、その金の重みもよくわかってるだろうし。だけれど、彼らは大人だから。アラタを連れ戻す為に血を流すのがフジオの役割なら、彼らは大人として身を切ることを選んだのかな…。フジオがそれは嫌だ、違うって言うのなら、その選択と判断を守る為にも。

 


・まとめ
リンダマンや花木九里虎が仲間と共に肩を並べて戦い笑い合う。鳳仙軍団が頼れる味方となる。陣内公平が己の過ちを認め友の元に帰っていく。それはクローズやWORST本編ではなしえなかったことだ。ありえなかったハッピーエンドだ。
けれども、ハイローではそれが可能になる。
本編の鳳仙高校の格や強さ、多数の人に担がれる「最高」の男を再現しながらも、本編では決して出来なかったことをやってのけたHiGH&LOW THE WORSTは、その点で立派に師匠を超えた弟子であり、オマージュされた世界観ではなく肩を並べられるほどに独自の世界観を固めていたのを見せられた気持ちになって、こんなに立派になってたとは…って謎目線でめそっとした。
アクションは特盛りで血も暴力にまみれてたけれど、全体的に祝福に満ちていた映画だったと思う。それは、鬼邪高を出てこれから大人になっていく未来が待ち受けている村山にだったり、これから全日で仲間と過ごしていく轟にだったり、あの世界でこれからも生きていく不良少年とかつての不良少年たちと彼らの周りの人々に向けられているのかな、と思った。
今こそわかれめ、いざさらば。なんて。

以上。