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映画の感想とか倉庫

TRASHという映画を知ってますか(過去感想サルベージ)

TRASHという映画についての一万字近い感想とメモです。
これを書いたのは約四年前で、映画の主役は三代目JSBのELLYです。リアル・アウトロー・アクションという謳い文句のアクション映画でした。
ハイロー全然関係ない(出演者は右京とカニ男とコウさんの中の人なので役者は被ってますが)んですけど、重い気持ちと出来心で書いた昨日のブログが思いの外多くの人に見てもらえたので、ついでに読んでもらえないかなという下心でのサルベージです。あと大人になる直前の子供というか、子供の部分を引き摺ったままの大人というか、そういう話なので。
あとどこか見えやすい所に感想を残しておきたかった。公開が2015年の10月だったんですが、ハイローの半年前なのでハイローからの人は知らない人多そうだと思うし。円盤出てないし。
いつか円盤が出たら処分しようと思ったムビチケは、今でも財布に入ってます。その間に財布は二回買い替えました。つらい。配信サイトとかそれこそLDHTVで流してほしい。あの映画をもう一度見たいんです。
泣き言は置いておいて、以下感想です。

ストーリーの流れがほぼ書いてあるのと一万字近く延々書いてあるとか引用がポエミーとか、そういうのでもよろしければ読んでもらえて、TRASHという私の好きな映画のことを知ってもらえたら嬉しいです。

 配役(ケント→ELLY・宏太→八木将康・堀田→遠藤要・猿渡→天野浩成・野中→遠藤雄哉

 

 

 

※一万字近いです。
  基本作品内の流れに沿っているけれども、途中前後するところもありますのでご了承ください。
    これは自分用のメモなのか、それとも私の脳内にしかないTRASHの話をしているのかわかりません。
 
◆前提
・深読みと誤読とこじつけしかない
・不良映画自体元々好き
・書いた人はELLY推し
 
◆TRASH視聴履歴
9月8日豊洲先行上映会→10月25日春日部舞台挨拶→10月26日シネマート新宿
世界観が繋がっていて監督と脚本が同じアラグレ2は本公開前に視聴済。1未見。
 
◆時系列の整理
初日昼(宝石詐欺の勧誘→辞める)→初日深夜(喧嘩後に帰宅)→二日目夜(ケント故郷へ戻る)→三日目(池袋へ・ケント指名手配)→四日目(南渋谷に来る・深夜に堀田のアジト襲撃)→五日目昼(南と渋谷デート・宏太捕まる)→五日目夜(堀田サンダーボルトに来る・ケントと堀田のタイマン)→六日目早朝(ラスト)
四日目が明確に翌日だとわからない(ケントのところに南からメールが来たのは三日目の夜だが、翌々日に行くという内容かもしれない。メールを見たケントが慌ててサンダーボルトまで来る所を見ると、そう日にちは経っていないようだが)けれど大まかな流れとして。一週間くらいの話である。
 
 
(0)はじめに
 
――全ての子供は、一人を除いて全て大人になります(ピーターパン/ジェームズ・バリー)
 
最初から全く本編に関係ないけども、映画の主題や登場人物について考えていて浮かんだのはピーター・パンだった。年を取って大人になることで、子供達は何かを失って飛べなくなってしまう。成長するということは、かつての持ち物を捨てて変わっていくことだ。
(余談:これ春日部で上映前にPANの予告見たのもある気もする)
かなり乱暴ではあるが、出てくる人間を子供と不良と大人の三つの分類において考えることにする。不良の定義は色々あるが、不良映画と呼ばれるものに一般的なものとする。
子供はいずれ大人になる。その途中に不良を経由する者もいる。不良のまま大人の顔をする者もいる。子供を捨てきれない大人もいる。これは精神や心持ちの話なので、実際の年齢は関係ないものとする。
この映画は不良映画のメソッドで描かれながらも、それを所々逸脱するところに妙がある。
 
 
(1)初日~初日深夜
さて、主人公の本堂ケントは子供である。作中唯一と言ってもいい、子供のまま止まってしまった人間だ。大人になろうと藻掻くも適応出来ず、また一人で生きていくことも出来ないでいる。
 
冒頭、ケントは宝石詐欺の勧誘に何度も声をかけ、唯一引っかかった人間も上手く言いくるめられず、目の前で奪われた客が口車に乗るのを見ている。客を奪われた悔しさや怒りとはまた違う、諦めたようなどこかいたましさがある表情だ。
その後も何かとぞんざいに扱われた結果、とうとう我慢の限界で全員叩きのめしてしまう。
(余談:あくまで個人的にだが三回見ても三回とも、作中の暴力シーンよりもこの一連が見ていて一番つらかった。ケントが徹底して酷く扱われるからか)
 
ここまで出てくる彼らは、誰しもが自分で行動を選択している。例えそのツケがどんなに理不尽であっても、自分の意思で選択した結果の責任は取らなければならない。それが、大人だからだ。
この一貫した作品内のルールは、この後に登場する南や猿渡にも通じるところがある。自分の選択をケントだけが反故にするのは子供だからか。(余談:直前に慰謝料云々言っていた人間を殴って大丈夫なのかと思ったが、後で野中に既に連絡が行きながらもケントが気付いてないということは、多分慰謝料請求しようとしても野中が止めている。甘いなー)
 
渋谷を歩くケントの画から見るに、Barサンダーボルトはセンター街の奥まった辺りのようだ(余談:実際は中目黒にあるそうですね、店長さん普通に出演しててびっくりした)
また雇って勉強させてほしい、という宏太に、野中は「無給で20時間労働だったら働かせてやるよ」とからかう。元バイトと雇い主という間柄だけではなくケントにも何度も仕事を世話しているなど、野中は二人と親密な関係である。
 
※以下はアラグレ2を見てわかったことなので、本編の感想とは少し外れる
サンダーボルトは東京∞という、不良の王国を作るという意思を持った白石がトップのグループの一角である。店長の野中は一見大人の顔をしているが、その実彼も白石の意思に賛同しているし、サンダーボルトの土地を紹介したのも白石だ。
だが宏太は前向きな夢に邁進する大人である。だから宏太はサンダーボルトにもう一度雇われない。彼らを野中が構うのは、グループではなくあくまで個人としての行為なのだろう。
 
宏太は大人である。夢を持つ道を選択して、その為に日々努力を積み重ねている。(余談:壁に書いてある、店を持つための計画にガンバレオレとマケルナボクと書いてあるのがほほえましい。頑張れと負けるなを自分で自分に言えるのは強い)
そんな宏太に口やかましく諭され、ケントはふてくされて家を出る。色々ケント側にも言いたいことはある。仕事の内容や事情を聞いて、それでも我慢して働け、とはさすがに宏太も言わないだろう。
だが、それを説明して弁護する言葉をケントは持たず、宏太の言い分が正しいのもわかっている。だがどうしていいかわからずに、歩道橋で一人頭を冷やして落ち込んではいる。
あと実家飛び出てきたような感じなのに、まめにメールしたり仕送りしてる時点でケントめっちゃいい子だなと思った。粗にして野だが卑ではない、という感じ。
 
 
(2)時系列不明(恐らく初日深夜だと思うが確定出来ない)
シーンは変わり、恐らく池袋になる。
堀田は最初から徹底して悪い大人として描かれる。金を返せなくなった馬鹿な大人を文字通り切り売りし、他人を傷つけることをビジネスとしか思っていない。対して、悪い大人のように生きる振りだけは出来てしまった不良が猿渡だ。
猿渡の不幸な点は、不良の精神のまま堀田についてきながら、悪い大人側になった今も名残を捨てきれないところだ。その感情は堀田には恐らく既に無い。猿渡個人よりも猿渡が持ってくる金の方に関心があるように見えるし、猿渡は堀田の側近にすらなれていない。
「ガキの頃から」「憧れて」「墓に入っても」猿渡の台詞はその場限りの嘘ではなく、きっと本心からそう思っていた時もあったのだろう。だが、今の猿渡がその台詞を口にする時の目には怯えが覗いている。
行き詰まっているとしても、現状から変わってほしい変えたいと思っている宏太やケントに比べ、堀田と猿渡に間に見えるものは停滞と破綻の兆しだ。
 
 
(3)二日目夜
(余談:熱海っぽいなーと思ったけど、南の借用書見ると住所に静岡って書いてあったので当たり?)
ケントは最低でも七年以上(昔の仲間に子供が生まれてその子が小学校に上がる年になっているので、六年+十月十日という雑な計算)顔を見せていない。それなのにかつての仲間達は何人もケントの突然の帰りを祝う為に集まって、親しげに言葉をかけてくれる。
だが、この和やかな雰囲気はすぐに、彼ら曰く「武勇伝」という言葉とどこか異様な熱を帯びた目で一斉にこちらを見詰めてくる画により、じわじわと崩れていく。ケントを置き去りにして進む歓迎ムードは、どこか空々しい。噂の出所が母であると知り、パンフレットによると母にその嘘(宝石詐欺→ジュエリーetc?)をついていたケントは何も言えなくなる。(余談:ここ、否定したいけど楽しそうな場の空気を壊したくなさそうでかわいそう)
 
なぜ東京に来たか、という話題になり、映画冒頭のシーンに戻る。ケントが凶器を振り下ろそうとする直前に宏太が止めに来て、宏太はケントを傷つけないよう組み付いて止めようとする。
その場を離れて海を見ている二人の表情は重い。ここの「俺と一緒に東京出るか?」というケントの言い方が、出る理由を考えるとずるいというか、意地を張っている子供なんだけれどもそれは後述。
 
宏太とケントは親友である。言いたいことを言い合ったり、本気で怒ってぶつかっても修正が効き、助けてくれたり心配してくれる仲だ。それは昔から恐らく変わらない。
だが、彼らにとって宏太は自分達のコミュニティの人間ではなかったから、二人が一緒にいる理由をケントではなく宏太側に求めた。その結果宏太を、「金魚の糞」「後ろをついて歩くだけが能」と軽い気持ちで見下していて、それは今も変わらない。ついさっきケントが「あいつは池袋でビシっとやっている」と言ったにもかかわらずである。ケントが彼らの言葉を否定しようとするのはここだけである。笑いを消して身を乗り出してまで止めようとする。
 
ここで南が入ってくる。ケントの「…さん」をくっつけるニュアンスがベタだがかわいい。南が帰ってからすぐに彼女が昔ヤリマンという噂があった、という話が出て、場の誰一人それを否定することなく、さもそれが真実であったかのように話し出す。
何か昔あったのかとケントに聞く仲間に対して、別の仲間は南の噂を否定するのではなく「ケント、硬派だったから、なあ?」と、ケントがそんな女と付き合う訳がないと肯定している。その言葉に、「……そっか」とケントは視線を合わせず力無く返す。ここで「そうだ」とも「ああ」でもなく、「そっか」なのがいい。否定を諦めている。
 
その後南の店で騒動を起こしたケントを、「全然変わってない」とむっとした口調で南は怒る。背中を向けたまま、ケントは「ごめん」とだけ返す。この辺りから、二人の口調や空気は付き合っていた頃のそれに近くなっていると思われる。真摯に思っているが不器用で強引なケントと、それに少し困りつつ許容している南という。あと「お酒も飲めないし」と言っていたのは妊娠の伏線か。
 
南は離婚しない理由について「ちゃんと話をしないで終わりっていうのもね」「ちゃんと話せたら前に進める気がするんだけどな」と言っていて、これは後半に引っかかってくるので後述。
泊まる場所が無く、南の誘いを断って恐らく本来行くつもりはなかった実家に行く辺りがケントらしい。(余談:「泊まってく?」と聞かれた後の散々逡巡してるケントの様子がかわいい。ちらって振り向いて本当に?って顔したり、何か想像を巡らしてる様子がかわいい。大事なことだから繰り返しとく)
 
 
(4)三日目昼~夜
 
南の夫を探すと言ったせいでケントが明確に堀田や猿渡のターゲットになった後、堀田のアジトでは『商品』であろう殴られた人間が吊されている。顔はよく見えないが血で汚れている。
堀田は呻く男に対してにこやかに話し掛けていて、堀田にとってはこれが日常だ。自分で汚した指を猿渡の服で執拗に拭うのは、徹底した上下関係の表現か。
 
宏太の家で、ケントの身勝手に宏太が怒るのは当然であるが、宏太の言葉と事実は微妙に異なる。久々の故郷は居心地が悪かったし、南に頼られた訳ではなく自分から首を突っ込んでいる(それはそれで悪いが)
宏太のヤケ酒は単純にケントへの苛立ちもあるだろうが、表情が浮かない所は言い過ぎたという後悔もありそうな。そして事情が事情とはいえ、先ほど言い合ったばかりの宏太をドアの向こうで呼ぶケントの姿は、悪く言えば甘えているが良く言えば遠慮のなさだ。恐らく喧嘩することは一度や二度ではなさそうで、その後の仲直りなり含めて二人には日常なのだろう。
 
 
(5)四日目昼~夜
高架下を抜けてハチ公前に行くということは、宏太のアパートは宮下公園の先の住宅街にあるんだろうかと。渋谷駅まで徒歩10分強、原宿にも同じくらいなので多少歩くが交通の便はいい。サンダーボルトへは徒歩20分弱くらい?
 
南は妊娠しているが故に、大人であらざるをえない。前述したが、大人であるということはこの作品内では選択することと同義である。だが、今の南には消息がわからない夫と他人になることを選択するだけの拠り所がない。
 
二人で公園にいて、初めてケントは宏太に昔東京に行きたがった理由を話す。逆に言うと今まで言ってなかったということだが、それでもずっと一緒にいられる関係なのだ。
ケントが南の噂を信じて本人に聞いたことを「そりゃバカだわ」と宏太はさらりと言うのがいい。否定のしようはいくらでもある。気付かなかっただけだ、若かったから仕方ない、南がもっと否定すればよかった……。けれど宏太はその時のケントを擁護しないし、バカだったとケントも自覚している。
 
――恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない(熊の場所/舞城王太郎)
 
あの時の選択がただの逃げであったことも、今のケントはわかっている。だからこの件は南の問題ではなく、ケントの問題なのだ。逃げ出してどうにもならないまま立ち止まったままの自分を、もう一度動かせるかもしれない機会が今なのだ。
 
サンダーボルトで二人は野中に謝るが、野中は仕事の件は既に知っていて「そっちはバップ」(余談:「バップ」ってなんだかわからなくて罰符?麻雀?って思ったらBad Playの略だとか)と言うが、南の件については否定しない。だが、野中はあくまで情報を与えるだけだ。ただ、「ツケ払ってから行け」、というのは死んだら取り立ても出来なくなる=死ぬ覚悟はあるのか、という意味か。親しくとも、野中と二人の間には線が引かれている。
 
その後、宏太と話した後別れ際に「これは俺の問題だ」とケントは言う。だから夢を持っている宏太を巻き込めないと。(余談:ここ、ケントが自分と違って明確な夢を持っている宏太を素直に肯定してるのが好きっていうか、本当に親友なんだなあと)
でも結局助けに来た宏太はケントの口真似をしてふざけるが、確かに宏太にとって南の問題は所詮他人事なのかもしれない。それでもケントが関わるならそれは宏太の問題にもなる。そういう小さな繋がりでこの映画の世界は出来ている。
 
二人の襲撃計画は、助けた人間は南の夫ではなく宏太が顔を見られるという手痛い結果に終わる。リアル・アウトロー・アクションという謳い文句だが、例えばこの辺りにリアルを感じる。奇跡はそうそう起こらず、突発的な計画はそれ相応の結果しか残さない。
 
猿渡と堀田はケント達と対照的に描かれる。相手の夢を尊重したいケントや見返り無しに協力する宏太と、偶発的なミスを責められてリンチされる猿渡に切り捨て金に換えようとする堀田。
 
 
(6)五日目昼
――ここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもない(TRAIN-TRAIN/ブルーハーツ)
 
宏太の嘘に対して、本当なの?と聞く南に返事をしながらケントは目を逸らす。序盤のサンダーボルトでもそうだけれど、ケントは嘘をつく時相手の目を見れない。南は嘘だとわかっているようにも見える。元彼女の南ならケントの癖を知っていてもおかしくはないし、昨夜彼女はケントが着ていたが血がついたシャツを見つけているから、不穏な事態を察してるとも考えられる。
 
最後に、と南の希望で渋谷を案内しながらケントがデートしているころ、宏太は猿渡達に攫われる。ほほえましい光景と一方的な暴力が、交互に音楽にのって画面に流れるのがこの世界は地続きなのだと思える。ケントと南の様子はまるで高校生のようで、きっと付き合っていた頃はこういう仲だったんだろうなと思える。この間だけ二人は過去に戻っている。
 
一通り渋谷を回って公園(多分宮下公園)で南とケントは休む。楽しかったね、と笑う南の隣で先ほどと変わって表情を重くして黙った後に、ケントは過去を謝り始める。それを聞いて「ずるい」と南は今までケントに見せていた先輩や彼女の顔ではなく、大人の顔を見せる。
作中唯一ケントが南を「お前」と呼ぶ。一つ上の先輩で皆に憧れられていた南を「お前」と呼んで、それを南に許容されるくらいの仲だったんだろうなと。(余談:南の噂が流された時、今まで恐らくケントの都合でやっていたことが全部裏目に出た辺りがえぐくていい。二人が付き合いを隠していなかったら、南が告白されることもなかった)
 
「ちゃんと話をしないで終わりっていうのもね」「ちゃんと話せたら前に進める気がするんだけどな」
数日前にケントに言ったのは南だ。その時は夫と南の話だった言葉は、ここでケントと南の間に持ち越される。ケントは七年ぶりとはいえ南と「ちゃんと話」をした。だから、ケントは南との過去を終わりにして前に進むことを選択する。子供時代を終えて、大人になろうとする。
 
別れ際、一人で帰ろうとする南に「ほんとに一人でやってけんの」と不安そうにケントは聞いてしまう。ケントはこれから南が帰る場所を知っている。そこで南をどのように思っている人間がいるのかも知っているからだ。
「人生ってそういうもんでしょ」最初にこの台詞を聞いて気分が暗くなった。南の台詞は、人生というものはそれでも一人でやっていくしかない、という諦めに聞こえたからだ。それが大人になるということなら、いずれ大人になるケントを待ち受けている世界はあまりに残酷ではないかと。
だが二回目以降これは私の誤読ではないかと思った。「一人でやってけるのか」に対する「大丈夫なんとかなる(人生ってそういうものだから)」という返答が近いかと思った(余談:これだけやさしい世界なんだからそうあって欲しいという願望もある)
南は東京に来ても、明確に何かを得ることはなかったが、ケントや宏太のように何の見返りも無くとも自分の為に奔走して、優しい嘘をついてくれる人間がいた。だから、人生はそう捨てたものではないのだと。先に大人になった者からの、こちらの世界も悪くはないところだという励ましの言葉として、最後に南は笑ったのじゃないかと思いたい。
 
この映画の主軸がケントの成長なら、南が去ったここでケントの話は終わっていると思う。ケントの過去の清算はついてしまい、後は前に進むしかない。(余談:ケントの行動の理由になる南が、ケントの成長のための最後の壁になる構成がすごく好きなんですよ。これは不良映画のメソッドにないから)
 
 
(7)五日目夜
サンダーボルトでケントが宏太を待っていると、代わりに堀田が現れる。
堀田と野中は昔の知り合いみたいだが、終盤のシーンから考えると案外高校の時の知り合いとかが近い気がする。まだ二人がただの子供で、不良であった頃の。
サンダーボルトで野中と揉めるのは、野中の後ろにいる東京∞と揉めるということだ。だが、ケントも宏太も東京∞の人間ではないし、店の外でどうなろうが野中に手を出す理由はない、と堀田はあえて確認した上でケントに池袋に来いという。
向かおうとするケントを当然野中は止める。ケントが行かなければまず宏太は助からないが、行けば二人もろともまず死ぬだけだからだ。この店にいれば少なくともケントは守れる。庇護される子供のままでいれば、ケントは命だけは失わずに済む。
 
野中は再度、出て行こうとするケントを止める。対してケントは「死ぬかもしれねえけど、ケツまくる訳にはいかねえんすよ」と返す。
ケントの言葉は一見怒りにまかせた無謀な選択に見える。だが、ケントは一度逃げた結果様々なものを傷つけて失った。だから、例え宏太と二人で生きて帰れるのが万に一つの可能性だとしても、見捨てることは出来ない。宏太さえ自分のせいで失ってしまったら、ケントにはもう何も残らない。だからこそケントは池袋へ向かうしかない。それ以外にケントが前を向いて生きる選択はない。
 
悪い大人から親友を助けに踏み入った子供に、悪党を全員打ち負かすという奇跡は起こらず、多勢に無勢でケントは簡単に打ち倒される。だが野中及びサンダーボルトの人間の登場で、万に一つの可能性は二分の一程度には押し上げられる。
野中はあくまで先ほど言った通り手は出さない。ただし選択を提示して、「オールドスクールだよ」と言う。かつての自分達にあった古き良きルールのように、ケントと一対一でやりあえと。渋る堀田を、半殺しの人間も倒せないくらい日和ったかと煽る。
先に損をさせられたのは堀田達なのだから、この要求は突っぱねることも当然出来る。だが堀田のグループは暴走族上がりの人間を束ねて出来ている。つまり、この場の彼らはかつて不良であった人間ばかりだ。野中の口ぶりからするに、堀田でさえそれは例外ではない。ここで引けば堀田の面子は潰れる。
 
堀田が勝てば、ケントと宏太を売り二人分の儲けになる。元々いなくなったのは一人だから倍だ。
ケントが勝てば、宏太を連れて帰れる上に人違いで逃がした男の件も恐らくちゃらになる。
なおかつ既にケントは打ちのめされていてベストの状態ではない。乗らなければ自分の面子が立たないが、多少堀田にとっては有利な賭けであるので堀田は乗ろうとする。
 
猿渡が野中に吠えるが、堀田はその怒りを淡々と無下にする。ここで猿渡は内心怯えて自分すら騙しながらも信じてきた堀田が、自分のことを何とも考えていないのだと気付いた。この瞬間、猿渡の捧げてきた忠誠は全てゴミとなった。
だが、その責任は堀田だけのものではない。堀田についていく、という選択をし続けてきたのは猿渡だ。堀田の言われるがままに手を汚してついてきた責任はある。それ故に堀田にやられる猿渡は誰にも助けられない。
(余談:舞台挨拶で天野さんが「次回作出てなかったら猿渡は死んでます」と言われたそうで。生きてて欲しいけど出るかな……)
 
――どんなおとなたちも、一度は子どもだった(星の王子様/サン・テグジュペリ)
 
勝負がついた後、野中に悪態をついた後の堀田の咳は、少し笑い声のように聞こえる。昔の、ただの不良だった堀田ならば、ケントに勝てたかもしれない。それは単純な強さかもしれないし、精神的な気合いとか不確かなものかもしれないが、大人である堀田は負けた。
ほんの一瞬だけ、堀田はかつての不良に戻った。勝負の結果ではなく、全力で暴れる過程を楽しんでいた。だが、それは一過性のものでしかない。野中も堀田も過去には不良少年であっただろうが、二人とも今は違う。それを懐かしむか否定するかの違いがあるだけで、もうあの頃に戻れはしない。作品的にはそれでいい気がする。人間一人や二人が奔走しても探し人を見つけらないように、ほんの一回の喧嘩で人間は変わることは出来ない。
 
だけれど、ケントが体を張った結果、宏太は取り返すことが出来た。奇跡も一発逆転も無いしどこかで誰かが死んでいるかもしれないけれど、この世界は少しだけ優しくは出来ているし救いもない訳ではない。それに、自分の周りの小さな世界なら変えることも、自分が変わることだって出来る。
 
お互いぼろぼろになった顔のケントと宏太が肩を組んで歩いていくシーンで、二人の口調に殺されかけたり命を懸けたりした重さはなく、ただ日常の延長線上のような軽口を叩いている。
あと、何を食べようかの話で終わるのが個人的にとても好きだ。今日何を食べるかとはつまり明日やその先に関わる話だからだ。いつか、今より少しだけ大人になったケントと夢を追っている宏太が、この日のことを笑い話に出来るようにと思う。
 
 
◆おまけ・タイトル
TRASHとは何をさしているのか、公式サイト出来てからずっと考えてるけど、未だに自分の中でこれだと決まらない。意味は名詞ならゴミ・くだらないもの・人間のくず、動詞ならめちゃくちゃに壊す・処分する・中傷する、などになる。社会的な影響力もなく世間的に見ればゴミ(冒頭で不良債権と呼ばれるケントのように)のように見られる登場人物達への比喩か、めちゃくちゃに壊す、というある意味ケントを表しているところから取ったのかわからない。保留。
(余談:iPhoneのメールやパソコンのデスクトップのゴミ箱はTRASHと表記されるが、多分関係ない。強いてこじつけるなら、前に進み変化する為に切り捨てられていくかつての自分の一部と、よりよいパフォーマンスの為に削除される不要なファイルとのリンクとか?)
 
 
◆まとめ
とても、面白かったです。
ありがとうございました、好きな映画がまた一つ増えました。
予告から連想してたアングラだったり理由のない暴力が溢れる痛々しい映画ではなく、もっと小さな話で前を向いていて、足掻けば世の中や世界は無理でも、自分の手の届く範囲なら変えられるし守れると信じられるような映画でした。
一回目の上映に行くまでは、本当にこの映画が見たくて行くのか悩んだ時もありましたが、見に行く選択をした自分が救われた気がしました。
あと言いたいと思ったことは形にしていこうと思いました。手遅れになってしまう前に。
またいつか、何らかの形でケントや宏太に会える日が来ればと願っています。